女ひとり♪家呑み日記

お酒が好きです

呑むのは、ビール、赤ワイン、日本酒、スコッチ、ブランデーです

料理はほぼツマミです(笑)
乗りテツも好きです

どうぞよろしく(^o^)/

闇の女

ひと月なんてあっという間だな。


6月半ば、真夏か!!と思うほど気温も湿度も高い一日があった。
そんな日にちょうど懐かしい親友の南さんが北海道からやってきて、5年ぶりに会った。


梅雨の晴れ間。雨が降らなくて良かったけど、道産子には洗礼の亜熱帯気候。


今回は二人きりではなく、南さんの友達3人も参加。
彼らはみんなバイク仲間だけど、私は初対面。
と言っても去年ズーム飲みしたから、知ってはいたけれど。


同い年の男性・久保さん、あと女性二人・高田さんと渡辺さん。
はっきり言ってこの3人に会いたくはなかった。
ズームで話しただけで、何か近づかない方が良い人物だと感じていたから。


そうは言っても、イヤイヤ、そんな短時間で人を判断してもさ、
会って何回かしないと人なんか判んないよ?と考える私もいるわけで。


しかしほぼ100%、最初のカンというのはそのまんまなのである。
むしろ、深入りして後から「やっぱりやめときゃ良かったのに」と後悔する事ばかりだ。


そういう人間(アタシ)は、心理学的には付合ってはいけない人間を選びがちなのだという事らしい。


まあそうだわな。自分の両親がそもそもヤバイ奴らなので、そんな環境に慣れて育った私は、
同じようなヤバイ奴に対しては、親に似てるからヤベー(笑)、とすぐにわかるくせに、
扱いに慣れてるからっていつの間にか深入りしている事があるのだ。


だから近年はものすごーーーく、気を付けている。
そいつらに対してと言うより、
あっ、この人ヤバイ、と気付いた後の自分に対して気を付けている。


オイオイ、近づくな!!と。


そうそう、久保さんとだけは初対面じゃなかったんだっけ。4月に実は飲みに行った。


ズームで喋っていて、
ああ独りよがりで素直じゃなくて、女性を理想化していて寂しくて、
自分が一番正しいと思っているタイプね。


と解ってはいたのだが、ズーム飲みから数ヶ月経つと、そんな印象も薄れちゃうもんで、
軽く飲み友なら行けるか。何たって私の唯一の親友の友達だしな。
とまたまた詰めが甘くなったのだ。


で.......まあ….、思ったとおりの人だった。
話を合わせるのが大変だった。


彼の趣味に話を振ったり、友好的な方に持って行こうとしても、
悉く拒否するような態度を見せるから、
何だ私の事気に入らなかったのか?じゃあ帰るか?とも思ったが、


終盤のスタンディングバーでは体を密着させてきて、
次はどこどこ行きましょうとかドライブ行こうとか、
デートですねえ!!とかニコニコしている。


いやいや、散々拒否するような態度とっておいて何言っちゃってんだ?
ああそんなだから奥さん出てっちゃったんじゃないんでしょうかね。
自分の言うことは聞かせたいが女性の話は聞きたくない。


と言うか、女性はこうあるべきでそれ以外は認めない、
という男尊女卑ップリが匂って仕方がない。


こういう男性は、母親に恨みを持っていたりする。
疲れた。行かなきゃ良かったとまでは言わないものの、二度と関わりたくないと思った。
何で親友南さんは付き合ってんのかな。


多分南さんには見せない、久保さんの闇の部分なのだろう。


さて、横浜で5人で集まり、久々に外飲みだ。
って、このブログ「家呑み」と名打ってんのに全然家の話になってねえぞ(笑)
毎日飲んでんだけどね(^◇^)


あくまでも私が会いたいのは南さんだけであって、まあ他の3人は仕方がない。
距離を置こう。


イヤな女....と、ズームの時に感じていた渡辺さんは、想像した通り、
実際にも非常に見た目が地味で、クソ暑いのに色々着込んで、身を守っている。
そうしないとならない理由があるのだろう。


相変わらず、人が嫌がるような話をずっとしている。
心理学で言う所の「キックミー」、
わざと自分が嫌がられるような事を言ったりしたりする人の事である。


親からの愛情が欠落して来た人----------例えば自分が先に生まれた子供であり、
下に弟か妹が出来た時、親の注目と愛情はそちらに移行する。


すると上の子はよく赤ちゃん返りを起こす。
乱暴な事をしたり騒いだりして親を困らせる事で、自分の方を向かせようとする。


人間というのは滑稽で哀れだ。
嫌われても叱られてもいいから、自分に構って欲しいのである。


それは、そんな自分に気付かないでいる限り50になっても70になっても死んでも直らない。
渡辺さんはそんな人だ。ものすごく哀しくて孤独な瞳をしている。


5人もいれば、誰かが一人喋るとみんなが聞き役になるか、
一人だけが相槌を打つみたいになるが、
渡辺さんは自分以外の人が喋っていてそれが自分に関係のない間は、
下を向いて非常に暗い顔をしている。まるで葬式に出ているみたいに。


その間渡辺さんだけが別の次元に旅立っている。
思った通りの人だ。ズームでもそうだった。


そして、ズームで既に話した話をまたデジャブの様に話す。
それしか話すことがないか、またはそれを話す事によって他の事は話したくないのだろう。


そして私が、「あっ、それ私も同じです、共通点ありますね(^◇^)」と親しみを出しても、
ごく冷たい顔で無言でうなづくだけでまた延々と語る。


それは、しかし意地悪でやっているのではなくて、無意識で無視するのである。
自分を訴えるのが精一杯で、人の話は届かないかのようだ。


彼女が喋っている間は誰も相槌打たなくてもいいから黙っていろという事か。
それほど「溜めて」いるのだ。


そもそも誰とも仲良くなる気もないが、注目はされる必要があるのだろう。
寂しいからこそ、わざわざ茨城から横浜くんだりまで来たのだろう。



ズームでもこの調子だった。
しかも、話題が。動物殺し。
彼女は狩猟家なのだ。


趣味が狩猟なのは口出ししない。
けれど、語り口が猟奇的だ。


ズームでも言ってたけど、鹿や猪をどういう手順で殺すか。死体を裁く手順。
余った屍はめんどくさいから森に放置してくるとか、
暇だから撃ちに出かけるとか、銃のコレクションの話。


どう考えても、趣味=殺し。なのである。
畑に害が出たから仕方なく駆除する、とかの話ではない。
命に何の敬意も払っていない。
とにかく大型動物をしとめる話をする時目がギラギラする。


あぶねえ。


銃のコレクションとか、嬉しそうに。アブねーだろう!!


ダンナとはもっか別居状態。職場でも人間関係のトラブルが絶えない。
けど自分は悪くないと言い張っている。


育ち方は私も似ているからわかるが、
親にネグレクトされて育つと、そもそも友情も、恋人も結婚生活も職場でも、
どこでも必ず軋轢を生む。
誰が悪いという話ではない。


ただどこかでそんな、傷ついて、愛着が欠乏してきた自分に気付けば、
いつからでも何歳からでも改善できるのだ。
自分の中のヘドロの様にどす黒い闇とちゃんと対峙する勇気さえあれば。


久保さんも渡辺さんも、50も過ぎてるのにいまだにそこは見ない様にして逃げているから、こじれたままなのだろう。


それを見て、私はまだ良かったなとホッとしてもいた。
随分若いうちに自分の内臓をひっくり返して取り出したのだ。
自分の中のドロドロを見る事に何の抵抗も持った事がない。
むしろこのドロドロはどこから来るのか??を必死に探してきたし、
今も目を背ける事はしない。


だから、救われているのだ。
何も怖くない。
むしろ自分の中の惨めで醜い闇に目を背けることの方が、100倍も怖いのだ。


だからこそ、久保さんの闇も渡辺さんのそれも、痛いほど伝わるのだ。
だからこそ、また深入りしてしまいそうになる。でも、踏みとどまった。


他人の世話を焼いている場合ではないのだ。
いつもそんなお節介心を出して、私は時間を無駄にする。


人は、自分でそこに気付かない限りは、自分を助けられない。
私が力になろうとすれば、ただ私に依存するだけでますますおかしな事になるだけだ。
今までだって何度もそんな目に遭ってきた。もうお節介は焼くまい。


という訳で、どうやってイノシシをぶっ殺したり鹿の腹をさばいたり、
それらがどんなに気持ちのいい事かを延々聞かされながら
私は刺身を食う羽目になっていた。


そしてそんな風に、人が聞いたらドン引きされるであろう話題を
片方の口角を上げてニヤニヤしながら話す事によって、
相手の反応を楽しんでさえいるのだろう。


どう?ついてこれないでしょう?私って特別なの。誰も私に近寄れないでしょう?
それに、怒らせるとあなたの事もいつでも撃ち抜くわよ。
という具合だ。


彼女が本当に撃ち殺したいのは、多分親だろう。


そんなに不自然に着込んでいるのは、あらゆる「敵」から心身を守る為だ。
地味にしているのは、女として見られる事に抵抗があるからだ。


そしてこういうタイプの女性は、私みたいに女っぽい格好をしている女を嫌う。
睫毛パーマをかけ、ネイルアートをし、ハイヒールを履いている女を。


自分がずっと我慢して抑圧してきている事を、
何の抵抗もなく日常にしている他人を見ると、自分の中の怒りが顔を出すからである。
その怒りは親に直結しているので、昔のいやな感情が心に沸き起こるのだろう。


ともかくそんな合間に、全体の空気をいつでも正確に読んでいる
頭のいい私の親友南さんは、私と静かに話をする。
彼とする会話というのは、他の誰とも成立しないほどに素晴らしい。


他の3人の話は聞くのも時間の無駄だと感じるほどに、無意味だったが、
南さんが話し出すと、ああ、それそれ、そういう話をしたかった。と思った。


だからこの人と私は30年に渡って親友なのだ。遠く離れていても。
彼が語る事は哲学であり、生き方であり、世界のあり方、人間のあり方なのだ。


しかし、そういえば久保さんはさっきから無口だ。
こないだは二人だったから結構喋ったし、時々見せた暗い表情からは、
これまで生きてきた中での虚しさや後悔が感じられたが、


今ここではただニコニコ、感じのいいおっさん然でいる。
この人も演じているのだろう。


二人でこないだ飲んだというと、女性二人は「変なオッサンでしょ??」と笑うので、
「いやとても真面目な方でしたよ」というと、
「ええーーっ!!どうしちゃったの久保さん!!」と笑っている。


いやいや、あんたら久保さんの「みんなでいる時のウワッツラ」しか見てないからでしょう。
渡辺さんの事も。
南さんも、多分みんなの事を表面だけで知っているだけで、それ以上求めていないのだろう。
距離のとり方がうまいのだ、私と違って。


私の場合は、すぐにその人の心の奥底が匂ってしまうから厄介なのだ。


久保さんはただニコニコして、お喋りな女性二人(私以外)の話を聞いてる「ふり」をするも、時々入れる相槌が全部「死ねばいいのに(笑)」なのだ。


最初ビックリした。そんな相槌ってあり??でも、ニコニコしながら冗談ぽく言うのだ。


それに、みんなそこはスルーしているという事は、いつも聞いていて慣れてるんだ。久保さんは何度も死ねばいいのに(^◇^)を繰り返した。


しかし、その、冗談ぽく言っている短い相槌にこそ、彼の強烈な本性が出ている。
みんな死んでしまえ!!と心の奥底では思っているのだ。


その闇を、こないだ私と二人飲んだ時には垣間見せたではないか。
こんな風にそれを取り繕っていて楽しいか?
いや、そんな闇は知られたくなくて、ただの面白いオジサンでいる事を選んでいるのか。


あと一人、高田さんというのは、彼らとは真逆の、天真爛漫で、かげりのない女性だ。
天真...というより「天然」かもしれない。


ほぼ苦労しないで育ち、いい学校いい会社に入っていい給料を貰い、人生は順風満帆だ。
母親から「早くしろ」という命令は受けて育っているらしく
何でも一生懸命早くやらなきゃ、という癖がついてはいるが、
それでも闇は微塵も感じられない。


私に気を使ってくれたり、裏のないイイ人で、誰にでも同じように接するのだろう。
こんな人が彼らの闇に辿り着くわけもない。案外正反対すぎて一緒にいるのかもしれない。


私はと言えば、こんな風に苦悩もなく大人になっている女性はそれはそれで苦手だから、困ったもんだ(笑)
明るく突き抜けすぎていて、対処がわからない。


では南さんみたいな「理想の友達」とは何なのか。
人の苦悩を知っていて、でも闇にしていない人。だ。


と、2軒目でシングルモルトをすすりながら分析する。
しかし南さん以来私はそういう相手に巡りあった事がない。


苦悩があればドロンドロンにヘドロを心臓の底にへばり付かせているか、
はたまた闇がなければそもそも陽の当たる場所でずっと暮らしてきた人で
他人に苦痛があるなんて思いも及ばない人種か、のどちらかだ。


私は今の所、自分の闇は全部自分から引っ張り出して、
部屋干しして時々忘れない様にそれを眺め、
溜まりそうになったらまたすぐに引っ張り出して分解して、絶対そこから逃げない。
幸せぶらないしイイ人ぶらないし、うらぶれたりもしない。


そういう人間になりたくないからだ。
親みたいな、そんな人間には。


だから、南さんは親友なのだ、と再会して確認できた。それだけで素晴らしい夜だった。


帰りの電車は途中まで、何とハンター渡辺さんと一緒だった。
内心ゲッ!!と思ったけど、彼女が話すのを黙って聞いた。そこは、親身になって、聞いた。


乗り換え駅で私は降り、外から彼女に手を振ったが、
彼女はまた、あの顔をして下をうつむいていた。
今にも、線路に飛び込みそうなほど暗い顔で、宙を見つめている。


どれほどの苦しみがあるのか、わかりたい気持ちに歯止めをかける。
それは大型動物を撃ち殺して内臓を引っ張り出し肉や骨を切り刻む事でしか癒されないぼどの憎しみなのだ。


しかしその一瞬苦しみを忘れる事ができても、また翌朝には憎しみは倍増しているだろう。
渡辺さんがそれを見つけに行って自分を助けない限りは。


彼女が見つけに行くべきなのは、鹿でも猪でもなく、自分の憎悪の源である。
そしてそれをこそ、撃墜してさばいて、この世から葬り去る事だ。


彼女は手を振っている私に気づいてパッ、と顔を上げて一瞬ニコッとする。
私はその時は心から笑顔を向けた。どうか彼女が幸せになります様にと。