女ひとり♪家呑み日記

お酒が好きです

呑むのは、ビール、赤ワイン、日本酒、スコッチ、ブランデーです

料理はほぼツマミです(笑)
乗りテツも好きです

どうぞよろしく(^o^)/

期待を手放した2023年

またまた、久々の日記になった。
ここ以外にもいくつかブログを書いてるけど、そっちも放置気味だ。


何たって、副業3つも掛け持ちしてる身だ。
仕事ない時は全くなかったりする副業だけど、ある時はどっと来る。


本業の会社の帰りにせっせと副業先に出向く毎日。
そんな年の瀬で2023年は過ぎた。


大晦日も元旦も仕事に行った。
それでも、個人事業だから雇い主も私自身だ。
信用して頂いて、お金を頂いて、自分だけの責任で仕事をする。苦にはならない。

↑副業=ペットシッター先の、ニャンコさんです↑


そして、こんなに長いこと連泊したことなかったと思うが、毎日彼様と過ごした。


彼は張り切って毎日料理を作った。
私は洗い物と風呂掃除と部屋の整理と、料理の「お手伝い」。


私も料理は得意だが、敢えて2023年は彼にやらせる事にしていた。
それは正解だった。


彼は、自分に出来ることは料理を作ってやる事くらいだ、と思っているのだ。
調理師免許を持っていて、経験もあるから手際が良くて何でも作ってくれる。


私のする料理とはちょっと方向性が違うので、それはそれで楽しい。
彼は、私が料理「まで」完璧に作っちまうと、居心地が悪そうなのである。(笑)


私は、交際相手にそう感じさせてしまう人間なんだろう、と前から知っている。


20代の頃、付合っていた彼氏に私のどこが好きなのか聞いたら(そんな事聞くのも若気の至りだわな)
「何でも出来るから」と言われた。


30代の頃、付合ってた彼氏には、喧嘩した時に
「ああ、お前は何でも出来るからな!!」と吐き捨てるように言われた。


小学校の先生や中学校の同級生にも似たような、
「何でもサラッと出来て可愛くない」
「出来ない事ないでしょ」みたいに言われた記憶がある。


そんな事言われてもね、しょーがねーじゃん。

↑料理中の男の腕は、セクシーである(*^_^*)↑


それで、私と付合い出してどんどん親しくなっていくにつれ、
彼氏たちはみんなだんだん劣等感を深めていく事になる。


それか、相手がそうやって劣等感をもともと強く持っているかだ。
だとしたら、私がそういう男だけを識別して選んでいるのだろう。


それに、男が女より何でも上でなければならん、
と言う概念がいまだ地球上に蔓延しているのもあるだろう。
だから、デキナーーイ!!と言う女子が大概モテル構造になっている。(笑)


確かに私は何でもたいてい出来る。
男に頼りたいと言う時は、肉体的に力が欲しい時と、
DIYの時に手がもう一本欲しい時と、
こりゃあ一人じゃあちょっと間が持たねえな、と言う時だ。


例えば、ちょっといい感じのレストランでゆっくり食べたい時、
おひとり様の食事も私は大好きだけど、
会話したり、笑顔を投げかけたり、他愛もない話をする相手が要るものだ。
ひとりで喋ったりヘラヘラ笑うわけにゃあイカンからねえ。

↑グラスで味が左右される、ワインは深い。↑


それに、週末の夜は一緒に映画を観ながら晩酌をして、
しばしばイチャイチャしたり、人生について語ったりもしたい。(*´∀`*)


その為に、私はパートナーが必要なのだ。
いや逆に、それ以外に、何か要る?


晩酌してイチャ付くなら誰でもいいのかと言うとそんな事決してないのに。
ちゃんと選んでいるのにな。


そもそも、パートナーって、自分が出来なくて代わりにやって貰う為の相手じゃないだろう。


しかし、男たちはどうも自分の役不足を感じるらしい。
彼らの存在意義を揺さぶる様なのだ(笑)


いや、そこに居て馬鹿話に付き合ってくれてるだけでいいんだけど。
と私は思うんだけどね。



人というのは、
赤ちゃんの時から親に色々と期待されたり失望されたりしながら大人になっている。


時代と国の違いこそあれ、「男は、○○であれ!!」
と言う教育を受けてきた彼たちにとっては、
力仕事と性生活以外に自分が役に立つ気がしないのは、
自己愛を揺るがす問題なのだろう。


だから、敢えて私は、2023年は彼様にとことん料理を作ってもらった。
美味しい美味しいと言い(勿論心から)
これまた作って、明日はあれ作って、とお願いし、
二人で食材を買いに行き、手伝う事あったら言って、とキッチン横で待機し、
ああーー、それはそうしない方がいいのに
と口を出したい事が多々あれどグッとこらえ、
全て彼様のやりたい様に作らせた。


彼はすっげー台所を汚す。汚く使う上にきれいにする事は出来ない。(笑)
だから後始末を完璧にやるのは本当に手間がかかったが。



そんな正月休みの毎日。
彼はそれで満足そうだった。


そして私は言いたい事聞いて欲しい事の7割を
言わずに心にしまい込んだままにした。
我慢とか忍耐と言うことではない。


それを伝えて私はいったい彼に何を期待しているのだろう??
と言うことだ。


言ってもショーモナイ事を。


これは2023年の私の履修課題だった。
私が彼様にご飯を作るのは、
美味しいと言って欲しいから?褒めて欲しいから?団欒の食卓を再現したいから?


それを得たとして、それがいったい何だと言うのだろう。
なぜ私はそれを彼に求めるのだろう。


その代わり残りの3割で、これはここで伝えて彼の意見も聞きたい、と言う話はした。
つまりおのずとディープな話題になったが、彼は真剣に答えてくれ、
またその答えを聞いて、彼に惚れ直したりもした。


そして一方で彼様の方も、私に何でも良く話す。
会わない間に起きた事、会った人たち、観た映画、政治の事。

↑アスペルガーの彼は、何でもこの様に「積む」(笑)↑


彼は私以外の人間の前では口数はあまり多くなく、
人に合わせて、かなり無理をしている。
外面がよいのである。


だから私に会うとそのタガが外れて喋りたくてしょうがないのだ。


しかし彼が言った何気ない話に対して
私が何か言いたくなった時、
なぜ今私はそれを彼に訴えたいのか?
を自分にいちいち心の中で質問するようにした。


そしたら、特に言った所で彼との親睦が深まるわけでもない内容が
8割を占めている事が、客観的に見てわかった。


そうだ、私は寂しい育ちをしたので、
仲が深くなった相手には、何でも話したい衝動に駆られがちなのだ。
彼はいっぱいいっぱいになってしまうだろう。


それより、彼様が話し、私に訴える内容を、
カウンセラーの様に逆にじっくり聞くのだ。


途中口を挟んで私の意見を言うのでもなく、
その時どうしてそう思ったのか、それはなぜなのか、
と時々質問して、彼が話すのをひたすら聞く。


人は、質問されて答えていく内に自分で自分の気持ちに気づくものだ。
特に彼の様に心を普段閉ざして自分を守っている者は。


そのせいか、いつも人の話を黙って聞いていられないタチの彼様も、
私の話をじっと真面目に聞いてくれるようになった。


彼は付き合い当初からは別人、と言っていいほど変わった。
誰も俺に触れるな、と言っている様な錆付いたナイフの如き男だったが、
今は私の理解者でもある。
それは、私も変わったからだ。
彼に期待したり求めたりする事をやめたのだ。
上っ面はやめた様に見せかけたのも最初の内で、
やっていく内に、本当に前のように要求心がうまれづらくなって行った。


今考えたら、私は彼に満たされたい為に彼を満たそうとしていたのだろう。
今は、違う。腹をくくったのだ。


彼が私を満たせなくとも、満たそうと頑張っているその気持ちだけで、
彼を全部受け入れたいと思う。


そして私達はいよいよ精神的にも親密になれた。それが2023年だった。
この先も、私は彼をもっと理解したい。


しかし、一方で人間と人間は、どんなに親密になろうとも、
境界線を守らなければならない。


彼は、親密と言うのは境界線を無くすことだと思っているだろう。
彼の育った家庭が、そういう環境だったからだ。


それは私も同じだ。
同じだからこそその仕組みも気持ちも理解できる。


理解できるからこそ、境界線を私は守り、
その一線だけは彼にも誰にも侵されない領域であり、
それが関係の妨げには絶対ならないものであり、
むしろ守るものなのだと言うことを、いずれ知って欲しい。


彼に求めるとしたら、そこだろう。


そんな彼様と、この先続けていくのは骨が折れることだろう。
骨が折れる事が得意な私が、選んでいる人生なのだ。


彼を理解することは私自身を理解することなのだ。



☆蛇足なオマケ☆
彼は下戸→ノンアルビール
私はザル(*´∀`*)→ビール→日本酒→ワイン


本麒麟の値上げ これ以上スルナッ!!<`ヘ´>

闇の女

ひと月なんてあっという間だな。


6月半ば、真夏か!!と思うほど気温も湿度も高い一日があった。
そんな日にちょうど懐かしい親友の南さんが北海道からやってきて、5年ぶりに会った。


梅雨の晴れ間。雨が降らなくて良かったけど、道産子には洗礼の亜熱帯気候。


今回は二人きりではなく、南さんの友達3人も参加。
彼らはみんなバイク仲間だけど、私は初対面。
と言っても去年ズーム飲みしたから、知ってはいたけれど。


同い年の男性・久保さん、あと女性二人・高田さんと渡辺さん。
はっきり言ってこの3人に会いたくはなかった。
ズームで話しただけで、何か近づかない方が良い人物だと感じていたから。


そうは言っても、イヤイヤ、そんな短時間で人を判断してもさ、
会って何回かしないと人なんか判んないよ?と考える私もいるわけで。


しかしほぼ100%、最初のカンというのはそのまんまなのである。
むしろ、深入りして後から「やっぱりやめときゃ良かったのに」と後悔する事ばかりだ。


そういう人間(アタシ)は、心理学的には付合ってはいけない人間を選びがちなのだという事らしい。


まあそうだわな。自分の両親がそもそもヤバイ奴らなので、そんな環境に慣れて育った私は、
同じようなヤバイ奴に対しては、親に似てるからヤベー(笑)、とすぐにわかるくせに、
扱いに慣れてるからっていつの間にか深入りしている事があるのだ。


だから近年はものすごーーーく、気を付けている。
そいつらに対してと言うより、
あっ、この人ヤバイ、と気付いた後の自分に対して気を付けている。


オイオイ、近づくな!!と。


そうそう、久保さんとだけは初対面じゃなかったんだっけ。4月に実は飲みに行った。


ズームで喋っていて、
ああ独りよがりで素直じゃなくて、女性を理想化していて寂しくて、
自分が一番正しいと思っているタイプね。


と解ってはいたのだが、ズーム飲みから数ヶ月経つと、そんな印象も薄れちゃうもんで、
軽く飲み友なら行けるか。何たって私の唯一の親友の友達だしな。
とまたまた詰めが甘くなったのだ。


で.......まあ….、思ったとおりの人だった。
話を合わせるのが大変だった。


彼の趣味に話を振ったり、友好的な方に持って行こうとしても、
悉く拒否するような態度を見せるから、
何だ私の事気に入らなかったのか?じゃあ帰るか?とも思ったが、


終盤のスタンディングバーでは体を密着させてきて、
次はどこどこ行きましょうとかドライブ行こうとか、
デートですねえ!!とかニコニコしている。


いやいや、散々拒否するような態度とっておいて何言っちゃってんだ?
ああそんなだから奥さん出てっちゃったんじゃないんでしょうかね。
自分の言うことは聞かせたいが女性の話は聞きたくない。


と言うか、女性はこうあるべきでそれ以外は認めない、
という男尊女卑ップリが匂って仕方がない。


こういう男性は、母親に恨みを持っていたりする。
疲れた。行かなきゃ良かったとまでは言わないものの、二度と関わりたくないと思った。
何で親友南さんは付き合ってんのかな。


多分南さんには見せない、久保さんの闇の部分なのだろう。


さて、横浜で5人で集まり、久々に外飲みだ。
って、このブログ「家呑み」と名打ってんのに全然家の話になってねえぞ(笑)
毎日飲んでんだけどね(^◇^)


あくまでも私が会いたいのは南さんだけであって、まあ他の3人は仕方がない。
距離を置こう。


イヤな女....と、ズームの時に感じていた渡辺さんは、想像した通り、
実際にも非常に見た目が地味で、クソ暑いのに色々着込んで、身を守っている。
そうしないとならない理由があるのだろう。


相変わらず、人が嫌がるような話をずっとしている。
心理学で言う所の「キックミー」、
わざと自分が嫌がられるような事を言ったりしたりする人の事である。


親からの愛情が欠落して来た人----------例えば自分が先に生まれた子供であり、
下に弟か妹が出来た時、親の注目と愛情はそちらに移行する。


すると上の子はよく赤ちゃん返りを起こす。
乱暴な事をしたり騒いだりして親を困らせる事で、自分の方を向かせようとする。


人間というのは滑稽で哀れだ。
嫌われても叱られてもいいから、自分に構って欲しいのである。


それは、そんな自分に気付かないでいる限り50になっても70になっても死んでも直らない。
渡辺さんはそんな人だ。ものすごく哀しくて孤独な瞳をしている。


5人もいれば、誰かが一人喋るとみんなが聞き役になるか、
一人だけが相槌を打つみたいになるが、
渡辺さんは自分以外の人が喋っていてそれが自分に関係のない間は、
下を向いて非常に暗い顔をしている。まるで葬式に出ているみたいに。


その間渡辺さんだけが別の次元に旅立っている。
思った通りの人だ。ズームでもそうだった。


そして、ズームで既に話した話をまたデジャブの様に話す。
それしか話すことがないか、またはそれを話す事によって他の事は話したくないのだろう。


そして私が、「あっ、それ私も同じです、共通点ありますね(^◇^)」と親しみを出しても、
ごく冷たい顔で無言でうなづくだけでまた延々と語る。


それは、しかし意地悪でやっているのではなくて、無意識で無視するのである。
自分を訴えるのが精一杯で、人の話は届かないかのようだ。


彼女が喋っている間は誰も相槌打たなくてもいいから黙っていろという事か。
それほど「溜めて」いるのだ。


そもそも誰とも仲良くなる気もないが、注目はされる必要があるのだろう。
寂しいからこそ、わざわざ茨城から横浜くんだりまで来たのだろう。



ズームでもこの調子だった。
しかも、話題が。動物殺し。
彼女は狩猟家なのだ。


趣味が狩猟なのは口出ししない。
けれど、語り口が猟奇的だ。


ズームでも言ってたけど、鹿や猪をどういう手順で殺すか。死体を裁く手順。
余った屍はめんどくさいから森に放置してくるとか、
暇だから撃ちに出かけるとか、銃のコレクションの話。


どう考えても、趣味=殺し。なのである。
畑に害が出たから仕方なく駆除する、とかの話ではない。
命に何の敬意も払っていない。
とにかく大型動物をしとめる話をする時目がギラギラする。


あぶねえ。


銃のコレクションとか、嬉しそうに。アブねーだろう!!


ダンナとはもっか別居状態。職場でも人間関係のトラブルが絶えない。
けど自分は悪くないと言い張っている。


育ち方は私も似ているからわかるが、
親にネグレクトされて育つと、そもそも友情も、恋人も結婚生活も職場でも、
どこでも必ず軋轢を生む。
誰が悪いという話ではない。


ただどこかでそんな、傷ついて、愛着が欠乏してきた自分に気付けば、
いつからでも何歳からでも改善できるのだ。
自分の中のヘドロの様にどす黒い闇とちゃんと対峙する勇気さえあれば。


久保さんも渡辺さんも、50も過ぎてるのにいまだにそこは見ない様にして逃げているから、こじれたままなのだろう。


それを見て、私はまだ良かったなとホッとしてもいた。
随分若いうちに自分の内臓をひっくり返して取り出したのだ。
自分の中のドロドロを見る事に何の抵抗も持った事がない。
むしろこのドロドロはどこから来るのか??を必死に探してきたし、
今も目を背ける事はしない。


だから、救われているのだ。
何も怖くない。
むしろ自分の中の惨めで醜い闇に目を背けることの方が、100倍も怖いのだ。


だからこそ、久保さんの闇も渡辺さんのそれも、痛いほど伝わるのだ。
だからこそ、また深入りしてしまいそうになる。でも、踏みとどまった。


他人の世話を焼いている場合ではないのだ。
いつもそんなお節介心を出して、私は時間を無駄にする。


人は、自分でそこに気付かない限りは、自分を助けられない。
私が力になろうとすれば、ただ私に依存するだけでますますおかしな事になるだけだ。
今までだって何度もそんな目に遭ってきた。もうお節介は焼くまい。


という訳で、どうやってイノシシをぶっ殺したり鹿の腹をさばいたり、
それらがどんなに気持ちのいい事かを延々聞かされながら
私は刺身を食う羽目になっていた。


そしてそんな風に、人が聞いたらドン引きされるであろう話題を
片方の口角を上げてニヤニヤしながら話す事によって、
相手の反応を楽しんでさえいるのだろう。


どう?ついてこれないでしょう?私って特別なの。誰も私に近寄れないでしょう?
それに、怒らせるとあなたの事もいつでも撃ち抜くわよ。
という具合だ。


彼女が本当に撃ち殺したいのは、多分親だろう。


そんなに不自然に着込んでいるのは、あらゆる「敵」から心身を守る為だ。
地味にしているのは、女として見られる事に抵抗があるからだ。


そしてこういうタイプの女性は、私みたいに女っぽい格好をしている女を嫌う。
睫毛パーマをかけ、ネイルアートをし、ハイヒールを履いている女を。


自分がずっと我慢して抑圧してきている事を、
何の抵抗もなく日常にしている他人を見ると、自分の中の怒りが顔を出すからである。
その怒りは親に直結しているので、昔のいやな感情が心に沸き起こるのだろう。


ともかくそんな合間に、全体の空気をいつでも正確に読んでいる
頭のいい私の親友南さんは、私と静かに話をする。
彼とする会話というのは、他の誰とも成立しないほどに素晴らしい。


他の3人の話は聞くのも時間の無駄だと感じるほどに、無意味だったが、
南さんが話し出すと、ああ、それそれ、そういう話をしたかった。と思った。


だからこの人と私は30年に渡って親友なのだ。遠く離れていても。
彼が語る事は哲学であり、生き方であり、世界のあり方、人間のあり方なのだ。


しかし、そういえば久保さんはさっきから無口だ。
こないだは二人だったから結構喋ったし、時々見せた暗い表情からは、
これまで生きてきた中での虚しさや後悔が感じられたが、


今ここではただニコニコ、感じのいいおっさん然でいる。
この人も演じているのだろう。


二人でこないだ飲んだというと、女性二人は「変なオッサンでしょ??」と笑うので、
「いやとても真面目な方でしたよ」というと、
「ええーーっ!!どうしちゃったの久保さん!!」と笑っている。


いやいや、あんたら久保さんの「みんなでいる時のウワッツラ」しか見てないからでしょう。
渡辺さんの事も。
南さんも、多分みんなの事を表面だけで知っているだけで、それ以上求めていないのだろう。
距離のとり方がうまいのだ、私と違って。


私の場合は、すぐにその人の心の奥底が匂ってしまうから厄介なのだ。


久保さんはただニコニコして、お喋りな女性二人(私以外)の話を聞いてる「ふり」をするも、時々入れる相槌が全部「死ねばいいのに(笑)」なのだ。


最初ビックリした。そんな相槌ってあり??でも、ニコニコしながら冗談ぽく言うのだ。


それに、みんなそこはスルーしているという事は、いつも聞いていて慣れてるんだ。久保さんは何度も死ねばいいのに(^◇^)を繰り返した。


しかし、その、冗談ぽく言っている短い相槌にこそ、彼の強烈な本性が出ている。
みんな死んでしまえ!!と心の奥底では思っているのだ。


その闇を、こないだ私と二人飲んだ時には垣間見せたではないか。
こんな風にそれを取り繕っていて楽しいか?
いや、そんな闇は知られたくなくて、ただの面白いオジサンでいる事を選んでいるのか。


あと一人、高田さんというのは、彼らとは真逆の、天真爛漫で、かげりのない女性だ。
天真...というより「天然」かもしれない。


ほぼ苦労しないで育ち、いい学校いい会社に入っていい給料を貰い、人生は順風満帆だ。
母親から「早くしろ」という命令は受けて育っているらしく
何でも一生懸命早くやらなきゃ、という癖がついてはいるが、
それでも闇は微塵も感じられない。


私に気を使ってくれたり、裏のないイイ人で、誰にでも同じように接するのだろう。
こんな人が彼らの闇に辿り着くわけもない。案外正反対すぎて一緒にいるのかもしれない。


私はと言えば、こんな風に苦悩もなく大人になっている女性はそれはそれで苦手だから、困ったもんだ(笑)
明るく突き抜けすぎていて、対処がわからない。


では南さんみたいな「理想の友達」とは何なのか。
人の苦悩を知っていて、でも闇にしていない人。だ。


と、2軒目でシングルモルトをすすりながら分析する。
しかし南さん以来私はそういう相手に巡りあった事がない。


苦悩があればドロンドロンにヘドロを心臓の底にへばり付かせているか、
はたまた闇がなければそもそも陽の当たる場所でずっと暮らしてきた人で
他人に苦痛があるなんて思いも及ばない人種か、のどちらかだ。


私は今の所、自分の闇は全部自分から引っ張り出して、
部屋干しして時々忘れない様にそれを眺め、
溜まりそうになったらまたすぐに引っ張り出して分解して、絶対そこから逃げない。
幸せぶらないしイイ人ぶらないし、うらぶれたりもしない。


そういう人間になりたくないからだ。
親みたいな、そんな人間には。


だから、南さんは親友なのだ、と再会して確認できた。それだけで素晴らしい夜だった。


帰りの電車は途中まで、何とハンター渡辺さんと一緒だった。
内心ゲッ!!と思ったけど、彼女が話すのを黙って聞いた。そこは、親身になって、聞いた。


乗り換え駅で私は降り、外から彼女に手を振ったが、
彼女はまた、あの顔をして下をうつむいていた。
今にも、線路に飛び込みそうなほど暗い顔で、宙を見つめている。


どれほどの苦しみがあるのか、わかりたい気持ちに歯止めをかける。
それは大型動物を撃ち殺して内臓を引っ張り出し肉や骨を切り刻む事でしか癒されないぼどの憎しみなのだ。


しかしその一瞬苦しみを忘れる事ができても、また翌朝には憎しみは倍増しているだろう。
渡辺さんがそれを見つけに行って自分を助けない限りは。


彼女が見つけに行くべきなのは、鹿でも猪でもなく、自分の憎悪の源である。
そしてそれをこそ、撃墜してさばいて、この世から葬り去る事だ。


彼女は手を振っている私に気づいてパッ、と顔を上げて一瞬ニコッとする。
私はその時は心から笑顔を向けた。どうか彼女が幸せになります様にと。

スッキリする悪夢

悪夢で朝方目覚める。
最近こんな事が多い。


前はいつものことだったが、
何とか楽しい事をやって不安を回避して頑張っているうちに、
毎日見ていたイヤな夢は見なくなり苦しまなくなったので、
日常生活も健康的に送れるようになって久しい。


久しいが、悪夢の元を隅に追いやっているだけなので、
根本的に解決はしない。
だが、そうでもしないと鬱になって引きこもって
気が狂って社会から逸脱してしまうから、仕方なかったのだ。
生き抜いていくために。



✾...✾...✾...以下は夢です✾...✾...✾...


私はKちゃん(元親友)と北海道(故郷)の土手を歩いている。
夕暮れに差し掛かり
空はうっすらピンク色と濃い水色が混ざり合っていて、
湿度は少し高く、温度はちょうど良く、快適で気分はいい。


私はこの後自宅に物を取りに行ってから、
また彼と合流して一緒に酒を飲む話をしている。


が、なぜだか私はこのままどうしても実家に戻ったまま家を出ないという風に気持ちを変える。
クドちゃんは「え~~、俺と飲むんじゃないの?」みたいに言っているが、
私は気にも留めない。
自分でも、なぜ一瞬で気が変わったのか不思議に思う。


そして実家に入ろうとするが、何だか玄関からスッと入るのではなく、
ひどく狭くてゴチャゴチャした変な場所を抜けて、
物を除けたりしながら何とかやっと苦労して一生懸命中に入る。
それで私はイライラしている。


茶の間では「相変わらず」父母が激しく罵り合いをしている。
またやってるよ...
何十年経っても、一ミリも成長しないジジイババアどもめ。


しかし別れない。
こいつらは私を生け贄にしながら、この不仲のゲームを楽しんでいるのだ。
虫ずが走る。お前らのお陰で私の人生は狂ってるんだ。



私は黙って後ろを向いて何か作業をしているが、
ついにブチ切れて振り向き、大声で


「.....っるっっせええんだよテメエラぁ!!」


と叫ぶ。
途端に父は腰を抜かすほど仰天して私を見ている。
母は平然としている。
父の様子を見て私はいい気味だと思っている。


そうだ、知らんだろう、
家におらず問題から逃げ続けて私を無視してきたんだからな。
私が何を感じて生きてきたかお前は知らんだろう。


続けて私は 「ぶっ殺すぞテメエラ!!!」 と叫ぶ。
怯える父が反撃の体を見せるがそしたら本当に殺してやろうと思っている。
反応の薄い母にも怒りが湧く。
私がキレるのさえこのババアには楽しいのだろう。
私は、もうKちゃんの所へ戻ろうとしている。


また急にこうやってコロコロ気が変わる自分がわからない。
つまり私も結局その場の苦痛から逃げ続けているだけなのか。


ハッと気付くと別の部屋にバロン(天国の愛犬)がひとり布団の上に横になっている。


ああそうだ、いつもこうやってバロンはこいつらの汚い罵声に怯え、耐えていたのに、
私はバロンを置き去りにしてクラブに出かけたりどっかに行って
バロンを置き去りにしたんだ。


頭の中に溜まって渦を撒いている、
あいつらの汚い罵り声や醜くゆがんだ顔を追い出すには、


暗闇のフロアにフラッシュライトが瞬き、
全身を揺さぶる様な大音量の音に身を任せて何も考えずに済むクラブが
私の脳を掃除してくれていたのだ。


ごめんね、バロン。
それでも、今この家にいる事はできない。
居ても立ってもいられない。
このままこの家にいたら、本当に彼らを殺してしまいそうで怖いのだ。


目が覚める。
バロンに謝る。
バロンの苦労を心からねぎらう。


ああバロン。凄く、苦労かけたね。
こんなひどい家に来たばっかりに、私は完璧に守ってあげられなかったね。
私たちみんなは、バロンから沢山優しさと愛を貰って、みんなが幸せになったのにね。


私はもう、愛する者も守りきれないような、
逃げなければ命を脅かされるような、
一触即発の世界から抜け出したい。
変わりたい。
✾...✾...✾...



こんな悪夢を久しぶりに見たのは、
あらいぴろよさんの、『虐待父がようやく死んだ』
を読んだ効果(?(•∀•))だろう。


幸い?私は20代の早いうちに親の闇が自分に巣食っている事に気づいて
分析しまくってカウンセリングにも通い、
親と対決したり歩み寄ったり
ありとあらゆる方法で解決しようと努力して、


その努力自体が私の生きる目的になっていたが、
自己愛性人格障害の親は、
絶対に、何がなんでも、自分がこの世に君臨する神であり絶対の存在であり、
正しいと信じていて、こちらの努力など只の徒労に終わったのだ、
と諦めることが出来た。


出来たのでほぼ縁も切れたが、
行き場を失った怒りはずっと心の底辺に焦げついたままなのだろう。


ただ、夢の中で思い切り言い返せていると言うことは、良い証拠だ。
昔の悪夢の中の私は、何も言い返せないどころか、
叫ぼうとしても体が硬直して動かず、声も出ず、全身麻痺の人だった。
されるがままだったのだ。


あんなに屈辱的で、悔しくて腹が立って悲しい経験は他にない。
夢の中で私は親の奴隷だった。



再びこんな夢を見るのは、フラッシュバックなんだろう。
でも、今は言い返せる私になった。


悪夢は悪夢だったが、怒鳴ったからなんだかスッキリしている(笑)
生き物が夢を見る意味がわかる。


相手は、変わらない。自分が変わったのだ
もう全身麻痺の私ではない。


言葉も話すし、自分の足で歩く。